元箱根石仏群
附 永仁三年在銘石造五輪塔・石造五輪塔・永仁四年在銘石造宝篋印塔
もとはこねせきぶつぐんつけたりえいにんさんねんざいめいせきぞうごりんとう・せきぞうごりんとう・えいにんよねんざいめいせきぞうほうきょういんとう
概要
二子山ノ西麓、精進池畔ニ點在シ二子石(輝石安山岩)ノ巨岩ニ佛菩薩ヲ半肉彫ニセルモノナリ
精進池ノ北畔ニ存スル石佛ハ國道ヲ挾ミテ其ノ東西兩側ニ露出セル高サ一丈餘ノ巨岩ノ壁面ニ最大三尺餘、最小七寸ノ彫像二十七躯及種子(中央阿彌陀、左觀音、右地藏)ヲ配セルモノニシテ俗ニ二十五菩薩トセラル 群像ハ童子形立像一躯、阿彌陀如來立像一躯及漫■甚ダシキ像一躯ノ外スベテ地藏菩薩立像ニシテ永仁元年、永仁三年ノ造像銘等ヲ存ス
二十五菩薩ノ南約三〇〇メートル、精進池ノ東畔ニ存スル石佛ハ高サ三間餘ノ巨岩ノ壁面ニ長方形ノ淺キ■ヲ穿チ一丈餘ノ地藏菩薩坐像一躯ヲ刻セルモノニシテ俗ニ六道地藏ト稱セラル造像銘ハ磨滅甚ダシキモ正安二年八月ノ造立ニカカリ六地藏ト稱セラレシコトヲ明カニシ得ベク鎌倉時代ニ於ケル磨崖佛トシテ優秀ナル作ト認メラルモト覆堂ノ設アリシガ今失ハレ構架ノ跡ヲ存セリ 六道地藏ノ西方ニ近ク又地藏菩薩立像ノ石佛アリ高サ約五尺ノ岩石ニ約一尺九寸ノモノ一躯、約五寸ノモノ二躯ヲ刻シ應長元年ノ造像銘等アリ
尚二十五菩薩ノ北方、約一〇〇メートルヲ隔テテ石造五輪塔三基アリ二基ハ俗ニ會我兄弟之墓、一基ハ虎御前之墓ト稱セラル會我兄弟之墓ハ鎌倉時代ノ作ト認メラレ各其ノ水輪ニ地藏菩薩立像一躯ヲ半肉彫ニシ虎御前之墓ハ地輪ニ永仁三年ノ銘文ヲ存シ地藏講結縁衆ノ造立ニカカル又二十五菩薩ト六道地藏トノ略中間、精進池ノ北畔ニ俗ニ多田滿仲之墓ト稱セラルル石造寶篋印塔一基アリ臺座ノ永仁四年ノ銘文ニ「□筥根山之勝地湛精進池之靈泉是當六道之池法界衆生之□」ノ句見エタルハ注意スベシ