文化遺産オンライン

新治廃寺跡
 附 上野原瓦窯跡

にいはりはいじあとつけたりうえのはらかわらがまあと

概要

新治廃寺跡
 附 上野原瓦窯跡

にいはりはいじあとつけたりうえのはらかわらがまあと

社寺跡又は旧境内 / 関東 / 茨城県

茨城県

筑西市、桜川市

指定年月日:19420721
管理団体名:筑西市(昭18・3・6)、桜川市(昭18・3・6)

史跡名勝天然記念物

臺地ノ緑辺ニ位セル地域ノ畑中ニ金堂阯ト認メラルヽ土壇アリ高サ約四尺五寸東西約六十尺、南北約四十尺稍楕圓形ヲ呈シ花崗岩繰出アル約三尺内外ノ礎石十個舊位置ニ存シ其ノ一部ニ■ヲ敷詰メタル遺構ヲ存セリ
金堂阯ノ東側ニハ土壇アリテ高サ約四尺略三十尺ノ方形ヲ成シ其ノ中央ニ縱約五尺五寸横約四尺五寸ノ塔心礎ヲ存セリ花崗岩自然石ノ表面ヲ削平シテ中央ニ直徑一尺八寸二分、深サ七寸四分ノ圓孔ヲ刻セリ又西側ニモ一個ノ土壇アリ高サ約四尺東西約十七尺南北約十二尺、略々中心地点ニ塔心礎ノ阯ト認メラルヽ凹所アリテ其ノ傍ニ硬砂岩自然石ノ表面ヲ削平セル礎石一個ヲ存ス即チ前者ハ東塔阯ニシテ後者ハ西塔阯サルベシ更ニ金堂阯ノ北方約九十四尺ヲ距テテ講堂阯ト認メラル、土壇アリ高サ約二尺五寸東西約六十尺、南北約三十尺及至三十七尺、略々長方形ヲ成セリ礎石ハ殆ド取除カレタルモ尚西側ナル南北両隅ニ舊位置ニアリト認メラルヽモノ二個ト畑中ニ顛落セルモノ一個トヲ存シ共ニ花崗岩自然力ノ表面ヲ削平セルモノナリ
各土壇ハ周囲ヨリ鑿取セラレテ縮小セルモ畑ノ地中ニ地固メノ遺構ヲ存スルニ依リテ其ノ基壇周辺ヲ偲ビ得ベシ又金堂阯、塔阯及講堂阯ヲ中心トセル周囲ノ畑ノ地中ニモ略長方形ニ囲繞セル廻廊阯ノ地固メト認メラルヽ遺構アリ講堂阯土壇ノ北方地區ニモ亦地固■遺構ヲ存シ各其ノ地域内ヨリ奈良時代ノ様式ヲ備フル古瓦ヲ出ダセリ此ノ如ク遺構完備シ伽■配置ニ特色アル廃寺阯ハ類稀ナルモノナリ
尚寺阯ノ東方約五百米、西茨城郡岩瀬町大字上野原新田字上野原ノ山林中ニ大小四個ノ瓦窯阯アリ低平ナル丘ノ上ニ築カレタル平窯ニシテ内大ナル分ハ天井、左右両壁ハ破壞セルモ窯底ハ完存シ通火構ハ幅約一尺二寸、深サ約一尺三寸、井桁状ニ設ケラレ前方及左右両側面ニ炊口部アリ廃寺阯ト近距離ニアリ且又出土ノ瓦モ廃寺阯発見ノ瓦ト略々同一ナレバ主トシテ新治発寺ニ使用セル瓦ヲ焼成セシ窯阯ト認ムルヲ得ベシ
S50-12-059[[新治廃寺]にいはりはいじ]跡[[附]つけたり][[上野原瓦窯]うえのはらがよう]跡.txt: 昭和17年7月21日指定されていた本遺跡のうち、上野原瓦窯跡は新治廃寺跡の創建時の屋瓦を供給した瓦窯であり、平窯4基が確認され指定されていた。近時、竪穴住居跡や堀立柱建物など造瓦工房とそれに関連する遺構を発見したので追加指定する。

関連作品

チェックした関連作品の検索