花園天皇宸翰御消息〈後二月廿四日(御花押)/〉
はなぞのてんのうしんかんごしょうそく
概要
花園天皇の自筆書状で、本文二十二行、末に後二月廿四日の日付と花押があり、元弘三年天皇三十七歳の宸翰と認められ、尊円親王に充てられたものであろう。文意は元弘の変後の天下動乱の様子を伝え、殊に「堂燈事鳩消之後断絶歟」の条は、太平記巻五に名高い。叡山根本中堂常明燈鳩消しのことにふれられたもので、太平記の記事を証する新史料としても注目される。なおこの御消息は料紙の状態から、或は三朝宸翰(前田育徳会蔵)のうちとして伝来したものかと推測される。