常善寺本堂須弥壇
じょうぜんじほんどうしゅみだん
概要
常善寺本堂須弥壇
じょうぜんじほんどうしゅみだん
滋賀県
鎌倉/1253
背後に来迎柱および仏後壁をそなえ、正面中央には須弥壇の内側に切り込んで階段三段を設け、階段左右の二面と、両側面にはそれぞれ三面の格狭間を彫りこむ。壇上では擬宝珠高欄をもうけ、正面階段の際では蕨手としている。また、左右側面の奥には、高欄上に板絵を描いた各二枚の両折の扉を備え、須弥壇下部には、来迎柱をふくめ、全体に反花状の蓮弁をまわす。高欄・框・束には木目塗をほどこし、框の角部と中間部に装飾金具をつける。
幅238.1㎝、奥行き227.5㎝、床高さ46.5㎝
1基
滋賀県草津市草津3丁目9-7
草津市指定
指定年月日:20140722
常善寺
有形文化財(建造物)
常善寺は、草津市の旧東海道沿いにある古刹である。享保四年に記された『常善寺縁起』によると、当寺は天平七年に良弁が創建し、貞観九年には円珍が不動明王を手刻し七日の修法を営み、承久の乱で狼藉に遭い、本尊、什物などを失ったが、建長五年(一二五三)に中原範基が願主となって仏堂を再興し、建治二年には、南都西大寺の叡尊が真言律宗に転じたと伝える。さらに元弘三年には足利尊氏が当寺で戦勝祈願を受け、以後、足利将軍家の帰依を受けたと伝え、江戸時代には浄土宗に転じ、歴代徳川家から寺領を安堵され栄えた。
本堂須弥壇上に安置される中尊阿弥陀如来坐像の台座蓮弁には康元元年、脇侍の観音菩薩立像の台座下框桟には建長五年の墨書銘が記される。また『近江栗太郡志』によると、本堂は建長五年に比丘尼蓮阿弥陀仏と中原範基が願主となり、大工藤井兼恒らによって棟上げされた旨を記す棟札について言及している。その後の本堂は、文明十二年に足利義尚によって修理され、正保四年に再興され、安永年中にも再建され、これが『近江栗太郡志』に掲載される正面三間、入母屋造、本瓦葺の本堂として伝わる。また須弥壇下框の内側には天明四年の修理銘と壇上の板敷板裏面には天明五年の修理銘が記される。