新湯の玉滴石産地
しんゆのぎょくてきせきさんち
概要
新湯が位置する立山カルデラは、立山・弥陀ヶ原台地の南に隣接する東西約6.5キロメートル、南北約4.5キロメートルの巨大な楕円形の窪地である。常願寺川の源流部にあたり、東・南・北の三方を切り立った断崖に囲まれている。立山カルデラは、日本でも数少ない侵食カルデラの一つであり、火山活動に伴う熱水によって強度に変質した火山岩が跡津川断層による地震や、大雨によって谷底に崩れ、常願寺川によって侵食されることによってできたと考えられ、現在も侵食は続いている。
新湯は、立山カルデラのほぼ中央に所在し、直径約30メートル、水深約5メートルの円形のすり鉢状を呈している。その地形から約4万年前〜現在に至る間の、立山火山活動の水蒸気爆発による火口(爆裂火口)跡にできた池と考えられている。初め、池の水は冷たいものであったが、安政五年(1858)の飛越地震の際の激しい揺れを契機にして、地下深部から熱水が湧き出したとされており、現在は、火口の底から約70度の湯が湧き上がり、乳青色をした水面には白い湯気が立ちのぼっている。新湯の湯は北西の隅から湯川谷へあふれ出して新湯滝となっている。この流れの中からは、重量比で40%程度珪化された倒木が発見されており、赤羽久忠ほか(2004)の分析結果によれば、珪化に要した期間は30数年以内とされ、百万年程度以上と考えられていた珪化木の形成メカニズムに新たな知見をもたらしている。
新湯は、わが国でも希少な玉滴石の産出地の一つである。玉滴石とは、新湯の熱水に含まれるシリカ(二酸化珪素)が砂粒(岩石片や鉱物片)の周りに付着してできた、直径1〜2ミリメートルの小さくて透明なガラスのような玉である。一つ一つがバラバラのこともあるが、たくさんの粒が集まって塊になることもある。それが魚の卵塊に似ていることから魚卵状蛋白石と呼ばれる。新湯の玉滴石については、大塚専一・神保小虎らによって1900年頃に報告されているが、その後、玉滴石が発見されたとの報告はなかった。しかし、1986年に赤羽久忠や山本茂が中心となり新湯の調査を実施した際、約100年ぶりに玉滴石が採集されており、玉滴石の生成が確認されている。玉滴石は1890年代から1900年代の初めにかけて、研究者らにより海外にも紹介され、その美しさから世界的に有名になった。大英自然史博物館を始め国内外の博物館や大学で、玉滴石を収蔵している所は多い。
玉滴石は高濃度のシリカを含む熱水が存在し、シリカの粒子が自由に浮遊できる空間において形成される鉱物である。まさに新湯のすり鉢状の地形と70度の熱水という火山活動が玉滴石を産み出したといえる。さらに、良好な玉滴石が産出することが知られているのは新湯のみであり、この産出条件が維持・保全されていることは、珪化木の形成メカニズムに対する新たな知見と併せて、極めて重要である。
このように、新湯は、立山一帯が活火山であることを示す証であるとともに、今なお玉滴石という希少で美しい鉱物を産み出す国内有数の産出地として学術的に貴重であり、我が国の自然を記念するものの一つとして重要である。