武雄城下屋敷図
たけおじょうかやしきず
概要
御船山を正面に据え、武雄(塚崎)の古城跡と、その下に黄色で扇形に広がる武家地を描いている。絵図に記載される家臣の名前から18世紀後期頃の成立と思われる。武雄領主は、戦国の一時期に山内町の住吉城に移った以外は、代々武雄城を居城とした。武雄城(塚崎城)は現在の武雄高校の位置にあり、背後の御船山を天然の要害とする山城であったが、元和元(1615)年の一国一城令により取り壊され、領主の館と諸役所を残すのみとなった。絵図のほぼ中央部には、本丸・二ノ丸・三ノ丸など古城の遺構が描かれ、その下には掘に囲まれた領主の館、向かって左、東の方角には武雄神社が見える。
武雄鍋島家旧蔵資料には、この他にも「宮野村住吉御城跡」「八並村諏訪山(御屋敷図)」「河良村御館跡之図」など、中近世の城跡・陣跡等を江戸期に描写した図が10数舗残されている。
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