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長崎表異船渡来ニ付而、旦那様都合御心遣被為蒙仰候一通控 地

ながさきおもていせんとらいにつきて だんなさまつごうおこころづかいおおせこうむりせられそうろうひかえいっつう ぢ

概要

長崎表異船渡来ニ付而、旦那様都合御心遣被為蒙仰候一通控 地

ながさきおもていせんとらいにつきて だんなさまつごうおこころづかいおおせこうむりせられそうろうひかえいっつう ぢ

文書・書籍 / 江戸 / 佐賀県

江戸時代後期

縦27.5cm、横22cm

1冊

佐賀県武雄市武雄町大字武雄5304-1 武雄市図書館・歴史資料館

武雄市

重要文化財

 アメリカ合衆国のペリーが浦賀に来航したのと同じ嘉永6(1853)年の7月18日、ロシア極東艦隊司令官のプチャーチンが長崎に来航した。これは、長崎警備のため出崎を命じられた武雄の領主が7月20日、佐賀の与賀屋敷(武雄鍋島家屋敷)を出立してから、再び10月28日に佐嘉に帰館するまでの記録である。極め絵詳細な記録から、佐賀藩として、あるいは江戸幕府としての緊張の度合いがわかる。
 なお、『旦那様』とは武雄領主をさす。この時期の領主は、第29代鍋島茂昌である。

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