三河万歳
みかわまんざい
概要
万歳は新春に家々を訪れ祝言を述べる代表的祝福芸で、古くは千秋万歳【せんずまんざい】とよばれる芸能であった。
三河万歳の起源には諸説あってつまびらかではないが、少なくとも室町期には畿内の万歳が現西尾【にしお】市森下【もりした】と現安城市西別所【にしべつしよ】に伝わっていたものと考えられる。その後江戸時代には、徳川氏の出身地ということで格別の保護を受け、陰陽道の本家土御門【つちみかど】家の免許を受けて、江戸および関東一円を苗字帯刀御免【みようじたいとうごめん】で巡回する特権を認められていた。特に正月には必ず江戸城に参仕して、万歳師が門外より「鍵いらず戸ざさる御代の明けの春」と唱え、門内より「思わず腰をのばす海老錠」と答えて、めでたく城門を開くのが吉例となっていたという。幕府の保護を失った明治維新後は一時衰退するが、神道教導職【しんとうきようどうしよく】として復活し、昭和の前期頃までは、正月から広く関東各地を巡業していた。
その芸態は、中啓【ちゆうけい】を持った太夫と鼓を持った才蔵とのコンビで、才蔵の鼓にあわせて太夫が祝言を述べて舞ったり、言葉の言い立てや滑稽な掛け合いを基本とするが、演目によっては太夫一人に才蔵が複数ついたり、太刀持ちや支配役が並ぶ場合もある。なお正式な装束としては、太夫は大紋【だいもん】に風折烏帽子【かざおりえぼし】、才蔵は素襖【すおう】に侍烏帽子【さむらいえぼし】を着用し、略式の場合は、太夫は狩衣【かりぎぬ】または浅黄【あさぎ】色の素襖に立烏帽子【たてえぼし】、才歳は羽織袴に大黒頭巾【だいこくずきん】を着ける。
伝承演目としては、「御殿万歳【ごてんまんざい】」「御門開【ごもんびら】き」「三羽鶴【さんばづる】の舞」「七草【ななくさ】の舞」などがあり、なかに滑稽な要素も含むが、総じてゆったりとした祝言性の強い内容で、祝福芸としての万歳の古態をよく伝えるものである。
以上のように三河万歳は、祝福芸としての古典万歳を伝えるものとして芸能史上きわめて重要なものであり、また地域的特色を示すものとしても貴重である。
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