尾張万歳
おわりまんざい
概要
万歳は新春に家々を訪れ祝言を述べる代表的祝福芸で、古くは千秋万歳【せんずまんざい】と呼ばれる芸能であった。
尾張万歳の起源は、地元の伝承によれば正応年中(一二八八-九八)に長母寺【ちようぼじ】開山の無住国師が「法華経【ほけきよう】万歳」を創始したのが始まりといわれるが、少なくとも室町期には長母寺領であった知多半島に伝わっていたものと考えられる。その後江戸時代初期に四つの儀式的演目を加え、「御【ご】(五)万歳」と称して、尾張万歳の基本を成立させた。さらに近世を通じて、これらの儀式的な演目に、「福倉持倉【ふくらもくら】」「入込【いれこみ】」「三曲【さんきよく】万歳」「御殿【ごてん】万歳」などの娯楽的な演目を加えて、農民の農閑期の出稼ぎとして、主として関西・中部・関東を盛んに回国した。明治維新後は、これらの回国に加え、遊芸稼人の鑑札を受け、より演芸性を加えて各地を巡業する一座も出現するようになり、演芸としての万才成立の基礎ともなった。
その芸態は、扇子を持った太夫と鼓を持った才蔵とのコンビで、才蔵の鼓に合わせて太夫が祝言を述べて舞ったり、言葉の言い立てや滑稽な掛け合いを基本とするが、演目によっては太夫一人に才蔵が複数ついたり、地方【じかた】として三味線と胡弓が加わることもある。なお装束としては、太夫は小素襖【こすおう】に烏帽子【えぼし】、才蔵は小袖【こそで】に大黒頭巾【だいこくずきん】を着用する。
伝承演目としては、儀式的な「御万歳」と娯楽的な演目とに大別される。「御万歳」は、仏教をわかりやすく説いた「法華経万歳」、浄土真宗を讃え親鸞聖人の一代記を内容とする「六条【ろくじよう】万歳」、熱田神宮の造営をうたった「神力【しんりき】万歳」、屋敷の新築を祝う「地割【じわり】万歳」、江戸城と江戸の町の繁盛をうたった「御城【おしろ】万歳」の五つの総称で、かつては回国先の檀那場【だんなば】の宗旨に応じて厳格な作法で演じられていた。娯楽的な演目としては、厳粛な御万歳の後のアトラクションとして演じられた「福倉持倉」(「なかなか万歳」とも称する)、回国先の名産を祝福する豊富な内容の「入込」や、歌舞伎の段物等を演じてみせる「三曲万歳」、舞台で五人から七人で派手に演じる「御殿万歳」等がある。
以上のように尾張万歳は、祝福芸としての古典万歳の儀式性と演芸の万才につながる娯楽性を併せもつものとして芸能史上きわめて重要なものであり、また地域的特色を示すものとしても貴重である。
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