銅人形
どうにんぎょう
概要
銅人形
どうにんぎょう
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸 / 関東 / 東京都
東京都
江戸
1?
東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
重文指定年月日:20050609
国宝指定年月日:
登録年月日:
独立行政法人国立文化財機構
国宝・重要文化財(美術品)
銅人形は鍼や灸を施すツボ(経穴【けいけつ】)と気血が流れる脈(経絡【けいらく】)とを表現した人体模型である。鍼灸治療は中国に由来し、その研究・教育に用いる銅人形は、永和四年(一三七八)に竹田昌慶(一三三八~八〇)によって明からわが国にもたらされたという。鍼灸治療は定着して江戸時代には広く用いられる治療行為となり、日本においても銅人形が作製されるようになった。
写真の銅人形は、足裏に記された銘文によって作製時期と作製に関わった人物とが判明する。作製時期は寛文三年(一六六三)ないし壬寅年(寛文二年〈一六六二〉)であり、考証にあたった飯村玄斎(?~一六九九)は、「飯村家系譜」(和歌山県立文書館所蔵)により和歌山藩医であったことがわかる。系譜には「南龍院様御代」に「御好之【おこのみの】胴人形被仰付【おおせつけられ】、経絡兪穴【ゆけつ】之儀委細吟味仕【つかまつり】、仕立差上申候」とあり、玄斎が紀州徳川家初代頼宣【よりのぶ】のとき、銅人形を作製したことを示している。作製に関わった他の三名(秋田胡庵、岩田伝兵衛、又三郎)については残念ながら詳細は明らかでない。
この銅人形は体表面を銅で網目状に鋳造するという独特のもので、体内には木製で著色を施した五臓六腑と骨格模型とを納めている。網目の穴の隙間から、内臓と骨格が透けて見え、ツボや経絡と内臓、骨格との関係が視覚的にわかるような仕組みである。さらに胸部から腹部、背部、後頭部から後頸部の三か所には蓋状の窓が開けられ、体内が観察できる。骨格模型は一部不正確な形状の部分があるものの、真骨をよく模して作製されており、このような骨格模型を備えていること自体注目される。
当時の医学知識を結集して作製されたと考えられるこの銅人形は、当時の医学知識の水準を示すとともに、鍼灸医療を含めた漢方医学の受容と展開を象徴する資料といえる。
なお、寛政九年(一七九七)に幕府奥医師の山崎宗雲が観覧する際に修理を施されたことが附【つけたり】とした木箱の蓋の覚書によって明らかであり、伊予西條藩最後の藩主となった松平頼英【よりひで】から明治十年(一八七七)に内務省博物局(東京国立博物館の前身)に寄贈されている。