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紙本白描不動明王図像

しほんはくびょうふどうみょうおうずぞう

概要

紙本白描不動明王図像

しほんはくびょうふどうみょうおうずぞう

絵画 / 鎌倉 / 近畿 / 奈良県

奈良県

鎌倉/1245

1巻

奈良国立博物館 奈良県奈良市登大路町50

重文指定年月日:20040608
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 不動明王一八図、八大童子図一一図、薬廁〓、倶哩迦羅龍王各一図の計三一図の白描図像を描き、各図に詳細な注記を記す図像集である。巻頭は本紙が失われているが、図像の配列が通例の不動明王像から特異な図像へ進む傾向があるなかで、巻頭の一図は最も通例の不動明王像であることから、これより前に大きな欠失はないことが推測される。
 絵画的にも各図は形象の把握、輪郭線、岩皴の筆法や、細部までも丁寧に描く描写などいずれにおいても本格的な優れたものである。
 巻末の奥書に、本図巻は寛元三年(一二四五)五月、二六歳の僧兼胤が鎌倉において功徳院僧正の本を書写したものであることが記される。これまでの研究により、兼胤は正応四年(一二九一)、七二歳で「入唐求法巡礼行記」(国宝、岐阜・安藤積産合資会社所有)を写した天台僧で、本図巻を書写した寛元三年ころには、師の慈胤に従って鎌倉に下向していたこと、原本を所持していた「功徳院僧正」は『吾妻鑑』などに見える天台僧快雅で、慈胤の師にあたり、寛元三年には鎌倉にいたことなどが明らかにされている。鎌倉将軍家が多くの台密の僧を鎌倉に招き、そのなかで台密を代表する事相書である『阿裟縛抄』も鎌倉で編纂されており、本図巻が書写されたのも時流と軌を一にすると考えられる。
 不動明王の第十四図には「右於高野図之」、第十五~十八図にも「右四躰、同於高野御山得之」とあるなど、台密の僧が積極的に東密の図像をも収集していたことがうかがわれる点も注目される。快雅は文治六年(一一九〇)三月、二五歳で曼殊院聖教中の『胎記』を書写しているのをはじめ、一三世紀初頭にかけて東密系の書を含め多くの書写を行っていることから、本図巻の原本となった快雅の書も、このころに入手されたと推測されることも指摘されている。注記に「以古伝図之」などの文言があることも考慮すると、その内容は平安時代もかなり遡る古い図像を少なからず含んでいると考えられよう。
 本図巻に収められる図像の内容は多岐にわたる豊富なものであり、複数の多頭多臂像など他に例を見ない特異な図像が多く含まれる。わが国で仏教の諸尊のなかでも重要視されたため、美術史上もきわめて多くの作例をもつ不動明王像を考えるうえで貴重な遺品であるばかりでなく、絵画的にも優れ、仏教文化史上にも重要な資料である。
 巻末の奥書は次のとおり。
「已上能々校之了 本文字不見事多不審之所
 以本軌可校合之
 寛元三年五月十一日 於相州鎌倉名越之禅房以功徳院僧正御本書写訖
 遍照金剛兼胤〈廿六/十四〉記之」

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