太田屯田兵屋
おおたとんでんへいおく
概要
・太田屯田兵屋は、明治23年(1890)に北太平洋の警備と開拓を行うため本州から太田に入植してきた屯田兵440戸が暮らす住宅として、明治22年1月から翌年5月にかけて標茶集治監の囚人によって建てられました。
・兵屋は17.5坪(58平方メートル)の木造平屋建で、土間・6畳と4畳半の2部屋・居間・台所や押入れ・便所などからなっています。居間には炉が設けられ、屋根に煙出し(排気口)が付いています。
・官給品であった兵屋は、みだりに改変することができませんでしたが、家族の状況や営農上必要な改変については、願い出によって許可されていました。
・この兵屋の特徴は、向かい合う建物の構造が道路を挟んで対称になる「裏返し型」といわれる建て方で、一方の兵屋の入口が道路から遠くなる不都合を解消するために考えられました。
・この兵屋は兵屋番号119番で、明治37年(1904)の屯田兵制度廃止後も住宅として使用されていたものを、昭和46年(1971)に復元し、昭和48年所有者より町に寄贈されました。
・道内でも当時と同じ場所に兵屋が残っている所は非常に珍しく、屯田兵の生活を知る上で貴重な建造物です。