乾漆力士形立像
概要
近年国有となった、珍しい像容の脱活乾漆造の忿怒形像である。伝来は不詳で、像を納める近代の箱には執金剛神と記されるが、両手ともに持物をとった痕がないことや、中国南北朝時代の金剛力士像との形の類似からは、金剛力士像として造られた可能性が考えられる。
像は、塑土の原型に麻布をはりかさねて概型を造った後、後頭部、背面などを切り開いて塑土原型をかき出し、木屎漆で表面の細部を塑形し肉身を丹地に朱隈、裳の表を緑青彩とする。両足裏から二本の丸心木を像内の肩部までさしこみ、この芯木の下端を〓として台座上に立て、天衣などには芯に鉄線を用いる。このような脱活乾漆技法は、わが国では白鳳、奈良時代に盛行し、その遺品も多いが、本像では、像内の全面に濃茶色の漆を丁寧に塗ること、心木がケヤキ材とみられること、台座もケヤキ材で底面を轆轤挽として、蓮弁を木屎漆で塑形する点などに特色がある。
全体に均整のとれた、乾漆像特有のやわらかい抑揚に富んだ作風には、天平彫刻の特色がよく示されるが、強調された筋骨の起伏や、動きのある天衣の縁の処理、やや形式化した衣文表現や、細部を略した胸飾の形などから、その製作はおよそ天平後期八世紀後半頃と考えられよう。歯をむきだして髭髯をあらわした面貌はきわめて特徴的で、わずかに当代伎楽面中、天平勝宝四年(七五二)将李魚成作の銘のある力士面などに類似のものが認められるに過ぎない。また、岩手・林野沢観音堂銅造菩薩立像は、体躯や衣文の表現、および冠飾、胸飾等の特徴が本像ときわめて近いことが注目される。
なお、この力士形像については、その像容や作風が異色であるとして中国唐代の造像かとする見方も提示されている。