石動山
せきどうざん
概要
石動山は、能登半島の基部、石川県と富山県の県境近くにある標高565メートルの山で、古来山岳信仰の霊場であった。神仏習合思想が盛行する中世には、伊須流岐比古神社の社殿のほか、堂塔伽藍が建ち並び、「いするぎ法師」と呼ばれた衆徒の修行の場として発展したが、衆徒が武力的勢力でもあったことや石動山が軍事的要衝に当たったこともあって、南北朝時代以降数度の兵乱に遭い、一山焦土と化した時もあった。しかし、戦国時代末期に、前田氏により復興が図られ、全山を「石動山天平寺」と号して、元禄10年(1697)の石動山絵図に見られるような規模雄大な堂塔伽藍・僧坊が整備され、以後江戸時代を通じて、前田氏の庇護の下で慇賑をきわめたが、明治元年(1868)の神仏分離令を契機に衰退に向かった。
現在石動山には、元禄年間の棟礼を持つ伊須流岐比古神社の建物が遺存し、また、二宮道、長坂道など8つの旧参道には、各々「御下馬所」といわれる庚申塚が残っていて、これらが石動山天平寺の結界を示すものと考えられる。
石動山は、古代から近世にかけての特異な祭祀遺跡として貴重なものであり、前記の境内地を中心に、二宮口の道標所在地等を含め史跡に指定する。