竪削盤〈/一八五六年、オランダ製〉
たてけずりばん〈/せんはっぴゃくごじゅうろくねん、おらんだせい〉
概要
竪削盤〈/一八五六年、オランダ製〉
たてけずりばん〈/せんはっぴゃくごじゅうろくねん、おらんだせい〉
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 九州 / 長崎県
長崎県
欧米 19世紀/1856
1台
三菱重工業株式会社長崎造船所史料館 長崎県長崎市飽之浦1
重文指定年月日:19970630
国宝指定年月日:
登録年月日:
三菱重工業株式会社
国宝・重要文化財(美術品)
竪削盤は、金属加工に用いられる工作機械で、刃物(バイト)を取り付けた台が上下に往復運動して金属を切削し、平面加工、溝、軸穴加工等を行う。一八〇〇年前後から英国で旋盤など金属加工用の近代的な工作機械が開発され、産業革命に寄与した。これらの工作機械は現在では数値制御の高性能のものに進化したが、基本構造は変わらずになお用いられており、竪削盤もスロッターの名で用いられている。
徳川幕府は嘉永六年(一八五三)九月に長崎に海軍伝習所を設け、幕府・諸藩からの伝習生に洋式軍艦の運用や、航海・造船・測量・砲術・数学などをオランダ軍人教官団から学ばせた。ついで海軍創設にともなう蒸気船修復施設長崎製鉄所を建設することになり、機械・資材の購入と建設をオランダに依頼した。安政四年(一八五七)六月に一八台の工作機械とその駆動用一五馬力蒸気機関や資材類が三隻のオランダ船で長崎に到着し、また幕府発注の軍艦ヤパン号(後の咸臨丸)で海軍伝習所教育隊長カッテンディーケ、製鉄所建設責任者ハルデス等の一行が来着した。同年十一月、ハルデス等の指導で長崎港の西岸飽ノ浦に工場の建設が始まり、文久元年(一八六一)三月に一期工事の鍛冶場、鋳物場、轆轤盤細工所等が竣功した。その轆轤盤細工所に前記の工作機械類が据え付けられ稼動が始まった。
長崎製鉄所は明治維新後の明治四年(一八七一)に新政府に引き継がれて工部省長崎造船所となり、明治十七年に三菱会社に貸下げられたが、機械類はそのまま使用された。大正三年(一九一四)、三菱合資会社彦島造船所(後の下関造船所)が建設されると、これらの機械類は新工場に移された。年月の経過とともに機械類はしだいに更新されていったが、この竪削盤だけが戦争をはさんで奇跡的に残り、昭和二十八年に長崎造船所に戻され、保存されることになった。
本機は鋳鉄製で、機械の骨格であるコラム、動力につながる駆動輪、駆動輪により動く駆動軸、駆動軸のクランクとシャフトにより上下運動するラム、工作物を載せるテーブル、それを前後左右に動かすサドル、サドルの下のベッド、ラムの上下運動の釣り合いをとるカウンターバランス等からなる。サドルには位置を動かすための手送りのハンドルがある。
コラムの左側面に“18 NSBM 56/FYENOORD”の鋳出し文字がある。これはオランダ・ロッテルダムのフェイノード(Fijenoord)にあるNederlandsche Stoom Boot Maatschappij(オランダ汽船会社)での一八五六年の製造になることを示す。
永年の使用で磨耗、損耗があり、改造も行われているが、日本最初の洋式工場で使われた現存するわが国最古の工作機械であり、日本の近代工業の原点となるものとして産業技術史上に貴重である。