鹿児島紡績所跡
かごしまぼうせきじょあと
概要
島津氏は洋式紡績工場の建設を計画し、慶応元年渡英した新納久修、五代友厚をして、英国において所要の機械を購入せしめ、また英人技師を招聘することにした。翌2年11月、技師の到着をまって工場の建築に着手、翌3年正月、機械到着、工務長等も来朝した。かくて同年春技師の住宅、いわゆる異人館が営まれ、5月には工場も竣功した。工場は廃藩後も稼動、明治30年に及んだが、いますべて失われてしまった。
異人館は工場の西方に近く設けられ、建坪104坪余、木造2階建である。のち大砲製造支配所となり、ついで明治17年他に移され、昭和11年に原形のまま旧位置にかえされたが、よく旧態をとどめていて、幕末における藩営興業、洋式技術導入のあとを徴すべき遺跡として学術上貴重である。