元箱根磨崖仏
概要
箱根越えで最も高い二子山と駒ケ岳の山合、精進ケ池に面する゛賽の河原゛と呼ばれる一帯に点在する石仏群で、これらは鎌倉時代の永仁元年(一二九三)から応頂元年(一三一一)に至る十九年間にわたる僧俗多数の結縁によって製作されたものである。その中心は二子山の裾に露出する大岩壁に彫出された「六道地蔵」と通称される三メートルを超える巨像で、龕の袖壁に刻まれた銘文によって正安元年(一三〇〇)の造立になることがわかる。頭の鉢の張った形や大きくうねる髪際のつくり、引き締まった顔の肉取りなどにこの頃の特色がよく表われており、この時代の東国の磨崖仏を代表する孤高の大作といえる。ほかに「廿五菩薩」と呼ばれる二十数躯の主として地蔵菩薩をその周囲に刻んだ高さ約三メートル半の岩がある。これら多くの地蔵像は永仁元年から数次にわたり下段から上方へと造り出されたらしく、各像の間にはかなり精粗の差が認められる。また火焚き地蔵の名で知られる素朴な地蔵像などもあり、全体として当時のこの地方における地蔵信仰の一面を物語る遺品として貴重である。