木造阿弥陀如来及両脇侍像
もくぞうあみだにょらいおよびりょうきょうじぞう
概要
桑原の長源寺の裏山にある薬師堂に安置される、来迎印を結ぶ等身の阿弥陀如来坐像を中心に三尺の両脇侍菩薩立像を配する三尊像である。三尊とも頭体幹部を檜の一材から彫出、前後に割矧【は】いで内刳りを施し(中尊像は像底を上底式に刳り残す)割首とし、玉眼嵌入、表面は漆箔で仕上げる。中尊像首〓内面に「大仏師実慶」両脇侍像頭部内面にそれぞれ「仏師実慶」の作者銘が記される。
そのはつらつとした作風には鎌倉時代初期のいわゆる慶派の特色が顕著に示されている。中尊像の頬が張り、口角を引き締めて強い眼差しで前方を凝視する若々しい面貌表現は運慶作の神奈川・浄楽寺阿弥陀如来坐像(重文、文治五年・一一八九)に類するが、やや細身で胴の締まった体型やふくらみをもたせた地髪部の形状などは同じく運慶の主宰した興福寺北円堂弥勒仏坐像(国宝、承元二年・一二〇八)に一歩近づいた感がある。その制作年代は十二世紀末から十三世紀初頭にかけてと見られる。
作者実慶は寿永二年(一一八三)の運慶願経(国宝、兵庫・上野氏他蔵)に快慶らの仏師と共に結縁した実慶と同一人物と思われる。その遺品としては他に承元四年(一二一〇)銘の静岡・修禅寺大日如来坐像が知られるが、その作風は本三尊像に比べやや張りを減じて落ちついた気分を示している。桑原の地には北条時政の子息宗時の墳墓堂があったことが『吾妻鏡』により知られ、ほど近い韮山の願成就院に存する時政発願の運慶作諸像(重文)と同様、本三尊像は北条氏関係の造像である可能性が考えられる。実慶は東国に定住し、幕府関係の造仏に携わった仏師であったと想像され、こうした慶派仏師の活動をうかがう意味でも看過できない遺品といえよう。
保存状態も総じて良好で、特にその過半を当初のまま残す蓮華座の丈高な概形と力強い各部の意匠に当代この種遺例の典型を見ることができるのも喜ばしい。
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