天正13年(1585)11月28日付 徳川家康書状(北条氏規宛)
てんしょう13ねん 1585 11がつ28にちづけ とくがわいえやすしょじょう ほうじょううじのりあて
概要
この書状は徳川家康が信州上田城(長野県上田市)の真田昌幸を攻めた「第一次上田合戦」の後、協力してくれた後北条家へ宛てられた礼状。この15日前に重臣石川数正が秀吉のもとへ出奔した事件への対応も記されている。
翻刻は、『大日本史料』第11編之23(平成14年刊)、同書、第11編之22(平成11年刊/一部)。『信濃史料』16巻(昭和36年刊)。
【釈文】
去廿二日之御状委/令披見候、仍石河/伯耆(数正)退出已後、/爰元手置等弥/堅固申付候、上方之/儀、至于今無殊子細候、/於時宜者可御心安候、/将亦御加勢之儀付而/無[ ]御心懸/雖不始[ ]欣悦/不少[ ]/
一左右次第先[ ]/可被[ ]候、随而/真田(昌幸)[ ]被入御念/御懇意祝着之至候、/委曲榊原小平太(康政)/可申入候、恐々謹言、/十一月廿八日 (徳川)家康(花押)/北条美濃守(氏規)殿/□報