慶長2年(1597)12月16日付 前田利長判物(守山・富山町鍛冶役宛)
けいちょうにねんじゅうにがつじゅうろくにちづけ まえだとしながはんもつ もりやまとやまかじやくあて
概要
越中射水郡守山町(現高岡市守山)の二兵衛と同孫兵衛、及び富山町の本久ら惣鍛冶中に宛てて出された納税命令書である。「惣鍛冶中」とあるので、彼ら三名が当時の越中鍛冶のリーダー格であったことがわかる。
「京田舎のやく儀」とは、豊臣政権(京)、及び前田家(田舎)が孵化する税のことと考えられる。
利長はこの二ヶ月前に守山城から富山城へ移転したばかりであり、当時の前田家の越中越中支配の一端がうかがえるものである。
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【釈文】
已上
国中かちの
事、誰々知行
代官之内ニ有之
ものたりといふ
とも、壱人も不
相残、京田舎の
やく儀少も
けたいなく可
仕、もしとかくの
儀申者有之ハ
急度可申上、
かたく曲言に
可申付候者也
慶長弐
十二月十六日 利長(花押)
守山町
二兵衛
同
孫兵衛
冨山町
本 久
惣鍛冶中