深大寺釈迦如来倚像厨子及び関連仏具一式
じんだいじしゃかにょらいいぞうおよびかんれんぶつぐいっしき
概要
深大寺釈迦如来倚像厨子及び関連仏具一式
じんだいじしゃかにょらいいぞうおよびかんれんぶつぐいっしき
東京都
昭和/1932
本厨子は、木造漆塗りの春日厨子形式で、基台、軸部、屋蓋から構成される。正面は両開き、両側面は片開きの扉とし、基台の下に反りをもつ脚を4本付ける。屋蓋は、宝珠をもたない宝形造で、その下部には緑青彩色の盲横連子の欄間を設ける。天井内側には、密陀絵技法により、四隅に霊芝文、中央には三層に広がる法相華文が描かれる。扉の蝶番や軒先、脚部、基台の横材等にみられる革製飾金具には、毛彫りの宝相華文が彫られ、金箔が押される。また、厨子礼盤の格座間には密陀絵技法による鳳凰、仏像礼盤の格座間には末金鏤技法による鳳凰と麒麟が描かれる。
総高150.5㎝。基台:幅101.2㎝、奥行82.4㎝、高さ19.7㎝。軸部:幅86.3㎝、奥行67.6㎝、高さ110.9㎝。屋蓋:幅108.5㎝、奥行89.1㎝、高さ19.9㎝。
厨子1基他、附入仏式次第書1冊、奉献額1面
東京都調布市深大寺元町5-15-1
調布市指定
指定年月日:20160330
宗教法人深大寺
有形文化財(美術工芸品)
深大寺の「銅造釈迦如来倚像(白鳳仏)」は開山当時の本尊と伝えられてきたが、慶応元年(1865)の深大寺諸堂炎上後、その存在が忘れられていた。明治42年(1909)、東京帝国大学理学部人類学教室助手であった柴田常恵らにより元三大師堂の須弥壇下から発見され、大正2年(1913)に旧国宝に指定された。大正4年(1915)には、82世堯文により白木の厨子が新造されたが、その後、深大寺と親交のあった料亭「八百善」の八代目栗山善四郎を中心に、白鳳仏にふさわしい新しい厨子を寄進したいとの申し出があり、昭和7年(1932)に奉納された。本厨子の制作は、奉加者の1人である日本画家安田靭彦の依頼で、奈良の漆芸家、吉田包春が行った。