本野原遺跡
もとのばるいせき
概要
本野原遺跡は、宮崎県央の田野町南部に位置し、標高約180m前後の台地上に立地する。平成12年度より県営農地保全整備事業に伴い、田野町教育委員会が発掘調査を行ったところ、旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であることが判明し、特に縄文時代後期には九州地方では極めて類例の少ない大規模な集落を形成していたことが明らかとなった。このため田野町教育委員会では遺跡の保存を図るとともに、集落の範囲及び内容を確認するための発掘調査を行った。
集落は径80mから100mの範囲をすり鉢状にアカホヤ火山灰を大規模に削平、除去した後に、広場と考えられる空閑地を中心に土坑、掘立柱建物、竪穴住居が径100mほどの環状に配置される構造である。広場は祭祀空間と見られ、中央部に配石や土坑が構築されている。竪穴住居は環状の北側及び東側に集中し、重複が激しい。土坑は空閑地に接して外側に分布し、中から炭化した堅果類が出土したものがある。また、骨粉が出土したものは墓坑の可能性がある。環状の北側には掘立柱建物が整然と南北方向に並ぶ。南東部の斜面からは大量の土器が出土していることから、捨て場が形成されていたものと考えられる。集落の北西部には硬化面をもった道路が確認されている。出土遺物では土器が多く、石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高い。さらに、土製円盤も多く出土している。
また、集落の西側にも遺構や遺物が濃密に分布しており、出土遺物等から集落が西側へ移動したことが推測されている。
本遺跡は集落構造及び出土遺物から見て、南九州を代表する縄文時代後期の拠点的集落と考えられ、この地域の縄文社会・文化を考える上で極めて重要な遺跡である。また、環状を呈する集落構造全体が判明したものとしては当該地域における初めての事例である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。