古保利古墳群
こほりこふんぐん
概要
古保利古墳群は、滋賀県北部、琵琶湖北端の塩津湾東岸に面した丘陵上に立地する。
昭和40年代に滋賀県教育委員会が行った分布調査により、滋賀県屈指の大規模な古墳群であることが判明し、県史跡に指定された。その後、高月町教育委員会が、昭和58年度から平成6年度に測量を主とした分布調査を行い、平成10から12年度に一部古墳の発掘調査を行った。その結果、古墳時代の初期から後期・終末期に至る、132基の古墳からなる大規模な古墳群であり、古墳の墳丘も良好な状況で保存されていることが判明した。
古墳は琵琶湖との比高100m以上の丘陵尾根上、標高200から240mの稜線上に南北約3kmにわたって分布する。前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基からなる。立地や分布状況からみて6つの支群に分けられ、それぞれ1基以上の前方後円墳ないしは前方後方墳が含まれる。古墳の規模は、前方後円墳では西野山古墳が90m、寺ヶ浦古墳が53.5m、ほかは22.5から40m、前方後方墳では、小松古墳が60m、ほかは15から39mである。円墳の直径、方墳の一辺はほぼ30mを最大とし、10から20m前後のものが多い。前方後円墳・前方後方墳と規模の大きい円墳・方墳は、古墳時代の初期から前期末ないしは中期前葉ころを中心とするものと考えられる。前方後方墳の小松古墳は、後方部の墳頂部から出土した二重口縁の壺や高杯などの土器からみて初期の古墳と考えられる。これら前期を中心とした古墳の内部主体は、竪穴式石室や粘土郭などは確認されておらず木棺直葬と推定される。埴輪はまったく認められないが、発掘された前方後円墳には葺石が確認されている。また、直径10m内外の小規模の古墳は、横穴式石室や横口式石郭などを内部主体とする6世紀から7世紀に造営された後期及び終末期のものが主となり、一部は群集墳を形成する。
この古墳群は、琵琶湖にじかに面しており、琵琶湖からしか望めない古墳もあることから、琵琶湖からの眺望を意識したことがうかがえる。琵琶湖は近江の水上交通の大動脈であり、湖北地域は畿内地方・北陸地方・東海地方・山陰地方から若狭地方の各地を結ぶ交通路上にあたることからも、古墳の被葬者は琵琶湖の水上交通に関与した集団と考えられる。また、古墳群は古墳時代の初期から終末期まで長期にわたって継続した大規模なもので、古墳時代の琵琶湖の水上交通のあり方とそれを担った集団の変遷や構成を知る上で重要である。古墳群全体は琵琶湖の景観とともに良好に保存されており、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。