絹本墨画水月観音像
けんぽんぼくがすいげつかんのんぞう
概要
観音は奇岩上に坐して大きい円光を負い、背後に楊柳を挿した水瓶を置く。岩下の静かな水面には月が映じ、上方の岩山から瀧が落ちている。水墨画の画題として好まれた類型に属するが、中では水月を表わす点が特徴的である。
上部に賛五行がある。(向かって左から)
良哉普賢身色
非唯岩上巍然
瀑布連雲皓潔
桂轂印水〓娟
徳山天庵叟謹讃
(「妙受」印)(「天庵」印)
賛者の天庵妙受(一二六七-一三四五)は、足利尊氏の帰依を受け、建武の頃(一三三四-一三三七)に丹波の光福寺の開山となり、のち真如寺、浄智寺、雲巖寺、南禅寺を歴住し、康永四年(一三四五)に南禅寺を退いて安国光福寺に帰住、十一月に示寂した。賛に見える「徳山」は、光福寺の山号「景徳山」を意味し、光福寺住持の時の著賛と知られ、おそらく初住の時かと想像されるが、いずれにせよこの賛によって、図の製作年代を限定することができる。
図は筆墨の使用が大変巧みである。例えば観音像は淡目の墨を用いて滑かな細線で肉身を描き、唇に朱を施す他、淡い朱暈も認められる。白衣は軽く抑揚のある線で、また宝冠から垂れて全身を覆う薄物の裂は細線で描き、白衣が薄物に透けて見える部分にはやや淡い墨を用いる。円光の背後の水瓶は少しゆらいだ形のシルエットで表わし、岩は細かい肥痩と濃淡の階調で凹凸を示す。光や空間の表現に優れた水墨画の表現を見せるが、整った像容や材質感の追求には仏画の伝統をうかがうこともできる。初期水墨画の複雑な状況を考える上で貴重な一作である。