赤壁図
概要
「赤壁」は、孫権と劉備の連合軍が魏の曹操と激烈な戦いを繰り広げた歴史上の舞台として「三国志」などでもおなじみである。現存の中国湖北省嘉魚県の西にある。
後年北宋の時代に、黄州(現在の湖北省内にある)で流刑の憂き目にあった詩人、蘇東坡(そとうば)が二度この地を訪れ、舟遊びに興じた。そのとき、「前赤壁賦」「後赤壁賦」というふたつの詩を詠じた。
この事故が、その後長いあいだ、中国や日本の文人のあいだで理想の境地と仰がれ、絵画の重要な主題となった。
もちろん、作者はほとんどのばあい、実地を訪れるわけではなく、蘇東坡の詩から得たイマジネーションを自分なりに咀しゃくしたり、なんらかの手本をもとにして描くわけである。
掲載された作品は、月僊という江戸時代中後期に活躍した画僧の手になるもの。月僊は江戸で桜井雪館という漢画派の絵師に、京都で円山応挙について学んだあと、伊勢の寂照寺の住持となった。
余白を大きく取り、乾いた筆で素早く描く、いかにも月僊らしい作品である。(山口泰弘)