編み物をする女
あみものをするおんな
概要
広島県に生まれる。本名は石村日郎。1924年に上京して太平洋画会研究所に入り、翌年の第13回二科展に初入選し、その後は一九三〇年協会展などに出品するようになった。1934年の第4回NOVA展と翌年の同展に人物像を中心とした小品群を発表。1935年からはライオンの連作を始め、第6回独立展には《ライオン》2点を出品した。1938年の第8回独立展には《目のある風景》を出品して独立賞を受賞したが、この作品に特徴的に見られるように、この時期の画風は日本におけるシュルレアリスム絵画を代表するもので、時代状況のなかでの不安な精神状態を鋭く捉えた作品として知れれている。1943年には麻生三郎、松本竣介らと新人画会を結成。同年から翌1944年にかけて何点かの重要な自画像を描いたが、応召して中国に従軍し、敗戦後帰国をはたせず上海の陸軍病院で戦病死した。 靉光は1934年から翌年にかけてグアッシュにクレヨンなどを併用した独特の技法による小品群を集中的に制作したことが知れれている。それらはいずれも特異な形態と濃密な描写を特徴とするもので、その後の制作展開を考えるうえでも重要な意味をもつものということができる。この作品では、編み物をする女性の姿を極端なデフォルメによって描いており、編み物をする華奢な両腕から波打つように大きく垂れる服の袖の不思議な形態など、随所に特徴のある表現をみせている。この時期には《盲目の音楽家》という笛を吹く男性の姿をモティーフとした作品があり、作者はこれと対をなすものとして女性の姿を描いた可能性がある。いずれにしても《編み物をする女》には、作者がもっていた女性そのものへの特異なイメージが込められているようである。(M.M.)