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『越中円満寺霊暀師法話』(写)

えっちゅうえんまんじれいおうしほうわ(うつし)

概要

『越中円満寺霊暀師法話』(写)

えっちゅうえんまんじれいおうしほうわ(うつし)

民俗 / 江戸

法話:天保2年11月8日/1831年

紙・竪帳・墨書

縦24.6cm×横17.3cm

1冊(8丁)

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-06-18

高岡市立博物館蔵

表紙墨書「越中/霊暀師演説」、巻頭「天保二年卯十一月八日辰刻/越中円満寺霊暀師 法話」、本文末尾「現霊誌写」、裏表紙「老待正来勿修道/古墳多是少年人」。
本文冒頭「祖師聖人ノ御言ニ真ニ知又弥勒大士ハ等覚ノ金剛心…」は、親鸞『教行信証』の「信巻」の文である。
裏表紙の出典は、寒山の頌とされていたが、南宋(1127~1279)に諺のようによく用いられていた。そして無住『沙石集』(鎌倉時代後期)に「古人いはく」として引用されている。また、吉田兼好の『徒然草』(1330年)第49段「老い来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり」(老年になったら仏道を心がけようと待っていてはならない。古い墳の多くは少年の人のものである)として紹介されているなど、中世より普及していたとされる。

霊暀(1775~1851)は新川郡稗田村(現上市町)の真宗大谷派・円満寺8世。父は7世了慶。別名・正慶。開悟院。霊翁、霊応とも。講師・宣明(せんみょう/1750~1821/高岡下河原町・開正寺)に師事。晩年失明したが、講義は一日も欠かさなかったという。また、寺内に学塾・洗心寮を設け、多くの門弟を養育した。

<参考>
・北日本新聞社『富山大百科事典』上下巻,平成6年 ・『高岡市史』中巻,昭和38年
・佐藤春夫訳『現代語訳 徒然草』(青空文庫/令和8年2月27日アクセス)
・ブログ「岬町 風来坊日記/莫道老来初学道」2019年2月1日(令和8年2月28日アクセス)

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