一行書
いちぎょうしょ
概要
江戸後期の高岡を代表する漢詩人のひとり・東林雪象(※1)の一行書である。
内容は「即得不退證無生」(即ち不退(ふたい)(※2)を得て、無生(むしょう)を証(さと)る)。正確には無生の後に「法(ぼう)
忍(にん)」が入る(※3)。意訳すると「すなわち不退転の境地に至ると、一切のものは不生不滅であることを認めること」となろうか。中国唐代の僧・善導(ぜんどう)『般(はん)舟(じゅ)讃(さん)』(※4)の一節である。
書外題「東林象書」。引首印(朱文方印)「予事/浮雲」(語順不詳)。落款「東林象」。白文方
印「雪象/之印」、白文方印「公/鮮/氏」。
表具の上(天)部の表裏から八双にかけて虫損、シミ、汚れが激しく、本紙にも若干のシミ、
虫損がみられる(要修復、要木箱作成)。
東林の資料・作品は当館では未収蔵であり、近世後期、高岡に花開いたの漢詩文化の一端を担った東林を紹介する資料として活用しうるものである。
※1【東林】とうりん
1786~1841・11・5(天明6~天保12・9・22)
江戸時代の僧・漢詩人。諱(いみな)は雪(せつ)象(ぞう),字(あざな)は公鮮または善調伏。東林は号。如須(にょしゅ)弥(み)斎(さい)・雲谷・公谷などの号もある。高岡市石堤の長光寺17世。若いころ,江戸の漢詩人大窪詩仏の弟子となる。高岡に漢詩吟社を開き,漢詩壇の中心として長崎浩斎らとともに詩会を催したりした。のちに上京し,本願寺の御使僧として全国に遊ぶ。詩集には『清浄閣詩鈔(しょうじょうかくししょう)』『如須弥斎百絶』『如須弥斎詩鈔』などがあり,紀行文として『泛登無隠(はんとむいん)』がある。享年56歳。〈大西紀夫〉
(「富山大百科事典[電子版]」平成29年6月1日アクセス)
※2【不退】ふたい
仏教用語。①仏道修行の過程で、すでに得た境地から後戻りしないこと。不退転。②退くことなくいつも修行すること。善根を重ねて、退いたり失ったりしないこと。不退転。
(「デジタル大辞泉」小学館/平成29年6月1日アクセス)
※3【無生法忍】むしょうぼうにん
仏教用語。一切のものは不生不滅であることを認めること。「忍」とは認可,認知のこと。一切の衆生を空であるとみて邪見に落ちないのを生忍 (衆生忍) といい,一切は空であり,実相であるという真理のうえに心を安んじ不動であるのを法忍という。
(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」平成29年6月1日アクセス)
※4【般舟讃】はんじゅさん
中国,唐の浄土教僧善導の著。1巻。正しくは『依観経等明般舟三昧行道往生讃』という。『観無量寿経』などによって,浄土をたたえる文章を作り,般舟三昧による浄土往生の道を明らかにしたもの。
(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」平成29年6月1日アクセス)