浄瓶
じょうへい
概要
頂部に尖台と呼ばれる細長い飲み口を設け、胴部の肩に添水口を付けた水瓶。尖台は8面体に面取りし、先端にかけてわずかに細くすぼまる。蓋付きの添水口は短く括れて袋状をなす。浄瓶と呼ばれる水瓶の一種で、インドをはじめ南海各地で使われていたものが仏教伝来とともに東アジアにも伝えられた。特に朝鮮半島においては仏教文化が大きく花開いた高麗時代に盛んに用いられた。宣和5年(1123)に北宋の徐兢が徽宗の使者として訪れた高麗での見聞をまとめた『宣和奉使高麗図経』には、「浄瓶」が水を貯え「貴人、国官、道観、仏寺、民舎」で用いられているとの記載があり、高麗社会に広く受け入れられていたことが分かる。