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絵葉書(高岡古城公園)

えはがき(たかおかこじょうこうえん)

概要

絵葉書(高岡古城公園)

えはがき(たかおかこじょうこうえん)

その他 / 富山県

富山県高岡市

紙・モノクロ印刷

各 縦9.0cm×横13.9cm

5葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-213

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

1:皇太子殿下行啓御野立所

発行:棚田書房(高岡市)
年代:明治42年(1909)頃

高岡古城公園の写真絵葉書である。中央の六角形の建築物は、明治42年の皇太子(後の大正天皇)北陸行啓のために公園本丸北隅に設置された「御野立所」(現在、石碑あり)と思われる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡公園 THE PARK OF TAKAOKA」とあり、【1】~【3】は同シリーズであると思われる(しかし、表面の文字は茶色であり、【2】【3】は緑色である。増刷されたものであろうか)。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。点線の上には「(高岡市棚田書房発行)」とある。
未使用。

【皇太子北陸行啓】
皇太子(東宮)の地方巡察。1945年(昭和20)以前は,天皇行幸に次いで皇室と地方民衆を結びつける行事だった。09年(明治42)の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓は1878年の明治天皇巡幸以来のことで,宇佐美勝夫知事は伏木港・福野農学校など当時の最先端地を案内。鉄道が富山までしかなかったため9月28日に金沢で宿泊し,本県では県会議事堂に行在所(あんざいしょ)を設けて,10月3日まで県内を回った(『富山大百科事典(電子版)』北日本新聞社,1994年)。
これに向けて整備された高岡公園(現高岡古城公園)においては、同年10月2日に奉迎式典が本丸にて開催された。皇太子は午前11時、御野立所に入られた。高岡御車山が全七基曳き出され、児童の手旗信号体操などを台覧に供した。そして、11時40分過ぎには桜馬場の御座所に移られた(『企画展 高岡城』当館,平成20年第2版第2刷)。

【棚田書房】
高岡木舟町の老舗「棚田薬局」は享和3年(1803)の創業である(『企画展 高岡の老舗』当館,2004年)。この店がいつのこのような絵葉書などを発行する書籍・出版業を始めたのかははっきりしない。明治25年(1892)発行の『日本全国商工人名録』には、「内外薬種売薬商 并絵具染料医用器械洋酒類 棚田喜作」とあり、昭和2年(1927)の『高岡市商工人名録』には、「薬品売薬書籍計量器販売業 (営業収益税額)一八、四四 木舟町一三 (振替口座番号)東京六五〇六 (電話番号)一三 棚田 喜作」とある。


2:中の島

発行:棚田書房(高岡市)
年代:明治40~42年(1907~09)

高岡古城公園の写真絵葉書である。おそらく朝陽橋から中の島を近景に、遠くに二上山の稜線がみえる。中の島は明治42年の皇太子(後の大正天皇)北陸行啓に向けての古城公園整備の一環で、同40年に湶町深田地内の民有地1,365坪を高岡市が買収し、公園用地に編入して造成されたものである。また、中の島の南端(現在の緑翠亭の場所)に東屋はみられない。同42年の絵葉書にはみられるので、これ以前に撮影されたことがわかる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡公園 THE PARK OF TAKAOKA」とあり、【1】~【3】は同シリーズであると思われる(しかし、表面の文字は茶色であり、【2】【3】は緑色である。増刷されたものであろうか)。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。点線の上には「(高岡市棚田書房発行)」とある。
未使用。


3:明丸?

発行:棚田書房(高岡市)
年代:明治40~大正6年(1907~17)頃

高岡古城公園の写真絵葉書である。撮影箇所は不明だが、通路中央に並木があり、また右側に水堀を挟んである高まりを本丸とすると、明丸を博物館方面に向かって撮影した可能性がある。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡公園 THE PARK OF TAKAOKA」とあり、【1】~【3】は同シリーズであると思われる(しかし、表面の文字は茶色であり、【2】【3】は緑色である。増刷されたものであろうか)。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。点線の上には「(高岡市棚田書房発行)」とある。
未使用。


4:射水神社前

年代:明治40~大正6年(1907~17)頃

高岡古城公園の写真絵葉書である。正面奥に本丸・射水神社がみえる。手前に8~9人の女性の団体がみられる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡古城公園」とのみあり、【1】~【3】のシリーズとは別であることがわかる。
表面(通信面)には緑色の文字で、上部に右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。
未使用。


5:本丸?

年代:明治40~大正6年(1907~17)頃

高岡古城公園の写真絵葉書である。長く平坦な土塁は本丸を連想させるが、撮影箇所は不明である。中央に男性がみられる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡古城公園」とのみあり、【4】と同シリーズであると思われる。
表面(通信面)には緑色の文字で、上部に右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。
未使用。

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キーワード

読みで / 高岡 / 絵葉書 / 通信

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