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絵葉書「高岡公園皇太子殿下行啓御野立所」

えはがき「たかおかこうえんこうたいしでんかぎょうけいおのだてしょ」

概要

絵葉書「高岡公園皇太子殿下行啓御野立所」

えはがき「たかおかこうえんこうたいしでんかぎょうけいおのだてしょ」

その他 / 富山県

富山県高岡市

明治42~大正7年頃/1909~18年頃

紙・モノクロ印刷

縦14.2cm×横9.1cm

1葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-217

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

明治42年(1909)10月2日、皇太子(後の大正天皇)が高岡古城公園に行啓した際、高岡古城公園本丸北隅に設置された「御野立所」(現在、石碑あり)の写真絵葉書である。
行啓前か後かは断じ難い。装飾的な石柱に頑丈な鎖で囲われている(推定で6、7m四方)。『高岡市史』下巻(p1198)によれば、皇太子は御野立所で「七台の御車山、学童の手旗信号体操を台覧、二上山の翠緑から遥かに有磯海の遠望を賞され」たとある。現在は鬱蒼と木が繁るが、この写真からはその様がうかがえる。
記載事項は表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正7年)の型式をもつ。
使用済(エンタイア)であり、一銭五厘の切手に消印(判読不能)が捺されている。
裏面(写真面)には、「高岡公園皇太子殿下行啓御野立所」「THE TAKAOKA PARK.」とあり、左上に手書きの通信文がある。
1-05-250-1と同じ写真が使用されていると思われる。

【皇太子北陸行啓】
皇太子(東宮)の地方巡察。1945年(昭和20)以前は,天皇行幸に次いで皇室と地方民衆を結びつける行事だった。09年(明治42)の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の行啓は1878年の明治天皇巡幸以来のことで,宇佐美勝夫知事は伏木港・福野農学校など当時の最先端地を案内。鉄道が富山までしかなかったため9月28日に金沢で宿泊し,本県では県会議事堂に行在所(あんざいしょ)を設けて,10月3日まで県内を回った(『富山大百科事典(電子版)』北日本新聞社,1994年)。
これに向けて整備された高岡公園(現高岡古城公園)においては、同年10月2日に奉迎式典が本丸にて開催された。皇太子は午前11時、御野立所に入られた。高岡御車山が全七基曳き出され、児童の手旗信号体操などを台覧に供した。そして、11時40分過ぎには桜馬場の御座所に移られた(『企画展 高岡城』当館,平成20年第2版第2刷)。

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