皿
さら
概要
白地の皿に梅の花が描かれる。箱書に「梅皿」「伏見/東山陶工場にて/花柳章太郎/自作/拙画/昭和15年/三月吉日」とあり、昭和15(1938)年に京都・伏見で作ったことがわかるが具体的な場所は不明。
昭和15(1940)年前後は花柳が名実ともに新派の花形として活躍していた時期であり、昭和13(1938)年からは新生新派を立ち上げ、新派の革新に心血を注いでいた。舞台では久保田万太郎「鶴亀」や谷崎潤一郎「芦刈」などを上演、前年に亡くなった泉鏡花の追善興行も行った。
この年は大坂と東京での公演が多かったが、8・9月は新興キネマの映画「晴小袖」(川口松太郎原作、依田義賢脚色、牛原虚彦監督)の京都撮影所での撮影に参加しており、京都に滞在していた。この皿はその時に作ったものであろう。箱書にわざわざ「自作/拙画」とわざわざ書いてあり、陶芸をはじめた最初期の頃のものと推測される。
新興キネマは松竹系の映画会社で花柳とも親交のある永田雅一、溝口健二が所属しており、昭和17(1942)年に他会社と合併して大映となる。この頃、新生新派の人々は休演月には映画出演を行っており、京都に滞在することが多かった。昭和18(1943)年からは新生新派の面々と溝口健二、溝口の映画の衣装考証を行っていた画家の甲斐庄楠音、吉井勇らを中心に京都の粋人たちが集まり「さんぞく会」という無礼講の会が行われるようになった。「さんぞく会」には福田平八郎、金島桂華、山口華楊などの著名な画家のほか、表千家家元や陶匠の16代目永楽善五郎、高島屋社長の飯田直次郎が参加しており、高島屋で「さんぞく会展」を行ったりもしたという。この会は花柳の晩年まで続いており、昭和33(1958)年に花柳が外遊する際も「さんぞく会」で作品展を開催し、売上を餞別として贈った。