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有間澄世軍忠状 菊池武光証判

ありますみよぐんちゅうじょう きくちたけみつしょうばん

概要

有間澄世軍忠状 菊池武光証判

ありますみよぐんちゅうじょう きくちたけみつしょうばん

歴史資料/書跡・典籍/古文書

南北朝時代 正平23年(1368)

紙本墨書

縦25.0 横35.3

1幅

正平22年の菊池武光による豊前国香春岳城攻めに参陣した有間澄世が、数日にわたる宿直警固や度々の合戦で同城の攻略に尽力した事を申告し、後々の証拠のため早く証判を賜りたいと求めたもの。菊池武光がその主張を承認して証判を書き加える。
有間澄世は、現在の南島原市付近を本拠とした有間(有馬)氏の一族。菊池武光は南北朝期に九州南朝軍の主力として活躍した肥後菊池氏の当主。香春岳城は福岡県田川郡香春町の香春岳に位置した山城。香春岳城攻めとは、正平22年7月に菊池武光率いる南朝軍が、幕府方の少弐冬資が立て籠る香春岳城を攻め落とした戦い。『南北朝遺文九州編』には、この合戦に関係する一次史料4点が収録されるが(4694、4696、4702、4757号)、それらが香春岳城について信頼できる初出の史料群であり、本文書は4757号文書の原文書にあたる。また正平6年以降の12点が確認される菊池武光の軍忠状証判の実例でも最後のものである。文中2年没とされる武光が、正平23年まで南朝軍を指揮する立場にあったことを示す史料、また香春岳城の攻撃に肥前の武士を動員するという大宰府征西府による統治の一端を示す史料としても特筆される。
<一瀬智執筆, 2024>

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キーワード

/ / 戦い / 合戦

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