家康公遺訓
いえやすこういくん
概要
小野鵞堂は駿河田中藩士の出身で、維新後上京して大蔵省で書記として勤めながら仮名書の研鑽を積み、その才を認められて華族女学校(女子学習院)で書を教えた。近代を代表する仮名の書家である。特に女性向けの手本類を多く著している。
徳川家康の遺訓として知られる文章であるが、実際は水戸の徳川光圀の言行をもとに家康に仮託され、明治期になって普及したものと考えられている。その書風は多田親愛、大口周魚らとの研究の成果による古筆の仮名を近代に適合させ「鵞堂流」の名がある。