木造虚空蔵菩薩坐像
もくぞうこくうぞうぼさつざぞう
概要
墨書銘は、造立の願意や供養などの関係者などに関する情報を読み取ることが可能であり、入仏供養時に記されたとみて差し支えない。
ただし、墨書銘からは伝来に関する情報は読み取れない。さらに、本像は比較的小像であり移動が容易と推測されることから、その伝来の考察には慎重を期する必要がある。
『長根寺物語』によれば、長根寺は大同年間、坂上田村麻呂が供養奉安した阿弥陀如来像とその堂宇に端を発する古刹で、往時は隆盛を極めたものの、無住の時代も長くあったという。また、近くは昭和17(1932)年の火災を始め、幾多の災禍に見舞われてきたという。このようなこともあり、同寺の由緒来歴を記す文献史料は写本を含めごく僅かであり、文献史料から本像の伝来を窺うことは難しい。
『同書』によれば、本像は大正13(194)年書上が史料上の初出とされる。また、根拠は不明ながら、本像は近隣の赤竜寺が無住となり[明和2(1765)年]、移坐されたという。