文化遺産オンライン

木造薬師如来坐像

もくぞうやくしにょらいざぞう

概要

木造薬師如来坐像

もくぞうやくしにょらいざぞう

木像 / 東北

平安

木造。トチノキ材。一木造。彫眼。漆箔。
頭体幹部は一材から彫出し背面および像底から内刳りし、背板を貼る。左手は手首を含んで前膊部一材矧ぎ付け。右手は肘、手首で各矧ぎ付け。両脚部は一材矧ぎ付け。

木造。トチノキ材。一木造。彫眼。漆箔。
頭体幹部は一材から彫出し背面および像底から内刳りし、背板を貼る。左手は手首を含んで前膊部一材矧ぎ付け。右手は肘、手首で各矧ぎ付け。両脚部は一材矧ぎ付け。
如来形坐像。肉髻、螺髪(切り付け)、耳朶不貫、三道彫出、衲衣をつける。左手屈臂して前に出し掌を仰ぎ、右手屈臂して前に出し掌を前に向ける。右足を上にして結跏趺坐する。

像高 88.0cm、髪際高 73.7cm、肘張 50.3cm、
膝張 69.4cm。

1躯

山形県指定
指定年月日:20180508

佐竹義弘

有形文化財(美術工芸品)

さらに本像の伝来については、元禄七年(1694)の『旧山号額』の裏に「華岡山薬師之縁起曰」の墨書がありそれによると(『東根市本丸東 薬師寺薬師堂悉皆調査報告書』三・8・(1)、解説・野口孝雄、東方の歴史を守る会、平成27年~ただし、報告書には表の写真はない)、以下のようである。
 ➀東根薬師堂は天平九年(737)の建立。
 ②本尊、日光月光、十二神将は行基作で天文十一年(1542)に敵方によって他国に持ち去られ、十二神将が残った。
 ③今の本尊は最上義光が仙北の小野寺道宣を攻めた折、取来たって安置したものである。
 ④その尊形は天台宗円仁の作である。開眼は延喜年中(901~23)慈覚大師による。
⑤天長年中(824~34)に開山は法相宗鑑和尚で、生仏寺と号した。
 ⑥仁寿元年(851)に真言宗真済が中興し、薬師寺と号した。
 ⑦貞和年中(1345~50)の領主の小田島長義が檀那であった。
 ⑧応永年中(1394~1428)の領主の源(天童)頼高、頼宗、最上家親と続き、元和年中(1615~24)まで収められた。
 ⑨寛永十一年(1634)に領主の里見義重が流人となり檀那を失い、その後絶転した。以上のことは、古文書で伝わる。

木造薬師如来坐像をもっと見る

地方指定文化財データベースをもっと見る

キーワード

/ 矧ぐ / 刳る /

関連作品

チェックした関連作品の検索