大山寺旧境内
だいせんじきゅうけいだい
概要
大山寺は山号を角磐山(かくばんざん)といい,中国山地最高峰,大山(弥山(みせん),1,709m)の北面中腹に位置する山林寺院である。大山は,『出雲国風土記』に火神岳(ひのかみのたけ)あるいは大神岳(おおかみのたけ)とみえる古くからの信仰の山で,『撰集抄(せんじゅうしょう)』(建長2年〈1250〉頃成立)は,8世紀後半の称徳天皇の頃,出雲国造俊方(としかた)が地蔵菩薩を大智明権現(だいちみょうごんげん)として祀ったと伝える。平安時代後期の『新猿楽記(しんさるごうき)』に修験の山とみえ,文献史料や発掘調査等の成果から,中世に最大規模となったことが知られる。近世には幕府から三千石の寺領が安堵され,西明院谷,南光院谷,中門院谷の三院谷の上に本坊である西楽院(さいらくいん)が支配する一山三院四十二坊の体制をとった。そして,牛馬の守護神や祖霊神と結びつき,広く民衆の信仰を集めた。明治維新で寺領を失った大山寺は,明治8年(1875)に寺号廃絶のうえ大智明権現社が大神山神社奥宮に定められた。寺号復活が認められたのは明治36年(1903)のことである。旧境内地には近世以前の建造物が残り,廃絶した子院(僧坊)にも石垣や土塁,それらを結ぶ参道が良好に遺存している。大山町教育委員会による総合調査の結果,我が国を代表する山林寺院のひとつであることが明確となった。