野々江本江寺遺跡出土品
ののえぼんこうじいせきしゅつどひん
概要
野々江本江寺遺跡は、珠洲市野々江町・熊谷町に所在し、珠洲市南部を北から南に流れる金川右岸の海岸段丘上に立地している。遺跡名にある本江寺は、明治7年(1874)の合併による野々江町成立まで存在した本江寺村に由来し、真言宗の「本江寺」と号する寺があったのでこの地名が付いたと『能登志徴』に記されている。
発掘調査は県営ほ場整備事業に伴って平成18年度から平成19年度にかけて行われ、柱穴と小規模な溝等が確認され、平安時代から室町時代まで断続的に営まれた集落遺跡と考えられている。
今回、指定する考古資料は平安時代末期の木製品4点である。内容は木製板碑1点、木製笠塔婆の竿2点、同じく額1点であり、低湿地を埋め立てたとみられている地点からまとまって出土した。
木製板碑はヒノキ材で、頂部は山形、下部は切断されている。木製笠塔婆の竿1はスギ材で、頂部に臍を、背面に溝を設ける。下部は切断されている。竿2はスギ材で、頂部が腐朽しているが、下部は遺存している。額はアスナロ材で、左右を欠損するが、上部の円相には梵字が刻まれており、下部は花弁形を呈する。竿1に取り付けられていた製品であることが確認されている。
以上の出土品は、木製の出土例としては全国最古級のもので、中世の墓制や墓標の初源を考えるうえで極めて貴重な資料である。また、同時期の絵巻物である『餓鬼草紙』(国宝)に描かれた木製とみられる板碑や笠塔婆とほぼ同一形態のものであり、その実物が全国で初めて出土したことから、『餓鬼草紙』は現実の墓地の風景を描いていることが裏付けられた。