下里・青山板碑製作遺跡
しもざと・あおやまいたびせいさくいせき
概要
外秩父山地の北東裾小川盆地に所在する鎌倉時代から戦国時代の板碑(いたび)製作(せいさく)遺跡(いせき)。13世紀頃から関東では仏教信仰の高まりを受け,寺院建立に加え緑(りょく)泥(でい)石(せき)片岩製(へんがんせい)の石塔(せきとう)である「板碑(いたび)」の造立が盛んになる。小川町は板碑石材の有力な産出地と考えられており,平成13年に同町下里で加工石材が採集されたことを契機に,小川町教育委員会が調査を開始したところ,採掘の可能性がある地点が,割(わり)谷(や)地区,西坂(にしさか)下前(したまえ)A地区,内寒沢(うちかんざわ)地区など19箇所確認された。
割(わり)谷(や)地区では,緑泥石片岩の露頭(ろとう)や,大小のズリによって形成された幅50m,奥行き45m程の平場が認められる。発掘調査では,矢(や)穴(あな)痕(あと)が残る岩塊や板碑形のケガキ線や溝状の掘り込みの残る石材,平(ひら)鑿(のみ)による削り痕が残る石材等が確認され,採掘から板碑形へ加工するまでの工程が明らかになった。また,出土した未成品の大きさや加工技術を町内外にある板碑と比較検討した結果,割谷地区における採掘の最盛期が関東で最も多く板碑が造られたとされる14世紀中頃から15世紀後半であることが判明した。
遺跡の規模や採掘の可能性がある地区が多数確認されることから,小川町内で生産された板碑の量は膨大で,武蔵国における板碑の中心的な生産地であったと考えられる。板碑の生産と流通だけでなく,板碑に象徴される中世の精神文化を知る上でも重要である。