谷家貨幣資料
たにけかへいしりょう
概要
「谷家貨幣資料」は江戸時代末期に日向(ひゅうがの)国(くに)延岡藩の豪商となり,近代には宮崎県下屈指の大地主となった谷家(屋号「藤屋」)に伝来した主に江戸時代から明治時代の貨幣及び貨幣類である。
同家は幕末以降,山海産物を中心に廻船によって上方との交易を積極的に行い,財政基盤を築いた。また明治時代には宮崎県の旧藩(きゅうはん)貨幣(かへい)受取方(うけとりかた),官金(かんきん)取扱人(とりあつかいにん)等の公職も担っている。
本資料群は,延岡藩最大級の豪商谷家の経済活動と旧藩貨幣受取方等の役割を背景に蓄積され,伝来したものと考えられる。
近世以前では,大判・五両判・小判・二分金・一分金・二朱金・一分銀・一朱銀・丁(ちょう)銀(ぎん)などのほか,江戸時代を通じて最も流通した寛永通宝や,日本でも使用され,またその模造も流通した渡来銭などで構成される。江戸時代に発行された基本的な額種はそろうが,おおむね江戸時代後期,文政・天保・万延年間のものが大量に伝存するのは,延岡における谷家の経済活動の反映とみられる。
近世以前の貨幣で特筆されるのは,現存例の少ない桃山時代の天正大判である。判金の製作も極めて端正で,後藤徳乗(とくじょう)の墨書もよく残り,保存状態が極めて良好であるといえる。裏面には通用の痕跡を示す両替商の墨書も残され,学術的価値が高い。
大判には,他に江戸時代中期の元禄大判,幕末の万延大判がある。
小判は,慶長・宝永・享保・元文・文政・天保・万延のものがあり,元禄・正徳・安政を除く江戸時代の小判の大部分がそろう。なかでも,文政小判は127枚,天保小判は112枚と多量に伝存するが,これらは,表面に変色がみられるのに対し,裏面は製造当時を彷彿とさせるほど良好な状態であることから,かつては包み金として伝存したものと考えられる。
二分金は文政・安政・万延と,幕末に鋳造された三種類の全てがそろい,一分金は慶長・享保・安政を除く各時代のものがそろう。二朱金は,元禄を除く,天保・万延のものである。
銀貨では,明和五匁(もんめ)銀や南鐐(なんりょう)二朱銀などが残り,豆板(まめいた)銀(ぎん)や丁銀など,関西圏で流通した貨幣がある。
穴空き銭は,6500枚を超える寛永通宝が残される。また,渡来銭は,数は少ないが,唐から清時代までのものがあり,日本で模造され,流通したとおぼしき銭も認められる。
また,子供の玩具等として用いられた絵(え)銭(せん)や,分銅などの江戸時代の貨幣類も残されている。
近代以降では,明治政府によって鋳造された明治3年(1870)の二十円金貨をはじめ,一円銀貨,五十銭銀貨,二十銭銀貨,一銭銅貨等がある。また西南戦争の際に薩摩軍によって発行された西郷札が同家に2枚伝わることも,延岡の地域性を示すものとして注目される。
以上のように,本件は,一家に伝来した貨幣資料としては類例稀な質と量を備え,豪商の経済活動の一端を示すものとして,また江戸から明治期の貨幣体系や貨幣流通の状況を知る資料として,歴史上・学術上に貴重な資料群である。