村田蔵六書状〈安政七年三月十五日/真一、丈蔵宛〉
むらたぞうろくしょじょう
概要
村田蔵六書状〈安政七年三月十五日/真一、丈蔵宛〉
むらたぞうろくしょじょう
幕府を揺るがせた大事件、桜田門外の変を報じた書簡。桜田門外の変が起きたのが、安政7(1860)年3月3日であるので、その12日後に出された書簡になる。外桜田の豊後杵築藩の松平市正の屋敷前で、水戸藩士が時の大老である彦根藩主井伊直弼の駕籠の前後に切り込み、駕籠の脇に人がいなくなったのを見計らって総がかりで直弼を殺害したことを伝えている。
その後に襲撃した水戸藩士の名前が、ただ1人薩摩藩から加わった有村次右衛門とともに挙げられ、襲撃側の被害として即死1人、深手により八代洲河岸の岸辺で切腹3人、脇坂家に駆け込んだものの深手により死去2人などと記されている。一方、彦根藩側の被害としては、即死が6名、その場から出奔した者が4名で、そのうち2人は翌日帰り親類により切腹させられ、深手手追いなどが15人と報じられている。
村田蔵六(大村益次郎)が記す桜田門外の変の情報は、宇和島藩・長州藩・蕃書調所・講武所など複数のルートから得たものと想像され、事件からさほど日が立っていないにもかかわらず、かなり正確なものといえる。
所蔵館のウェブサイトで見る
愛媛県歴史文化博物館