村田蔵六書状〈安政六年/真一、丈蔵宛〉
むらたぞうろくしょじょう
概要
村田蔵六書状〈安政六年/真一、丈蔵宛〉
むらたぞうろくしょじょう
村田蔵六(大村益次郎)が、開国により外国の脅威に晒される江戸の様子を宇和島に伝えた書状。「六月十日頃より廿二日迄之風説」とあるが、書状にあるロシア船の品川沖入津は安政6(1859)年7月18日のことなので、安政6年6月10日頃より7月22日までの風説をまとめて記したものと考えられる。
最初に、旗本の小普請役から外国奉行手付や勘定所などへと登用する試験のことに触れ、蔵六がその選考に当たる者から密かに答案を写し取ったことが記されている。
次に、7月18、19日頃にロシアの蒸気船7艘が品川沖に停泊したという情報が記されている。船将はロシア帝王の親戚で、ロシアの三分の一を領有している。今回は蝦夷地の堺のことで、外国奉行や老中を飛び越え将軍と直談判しようとこのような貴人を送り込んできた。かなり手強い相手で、船将が上陸した時の外国奉行のとまどいは笑えるほどで、ご苦労なことだと感想を洩らしている。
さらに、アロー戦争の結果、清とイギリスとの間に結ばれた天津条約のことが記されている。賠償金を清が来年の5月までに支払う約束で停戦しているとの風説があるが、もし支払えない場合は、清の皇帝をロンドンに捕らえて帰り、入牢させる約束になっている。日本とて他人事ではなく、日英通商条約を批准に来たイギリス人が、応接に当たった奉行の顔面にお茶を浴びせ、その2、3日前には炭次で顔を撲ったという情報も記されている。虚実入り乱れながら混乱する江戸の様子を伝えている。
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愛媛県歴史文化博物館