寄書
よせがき
概要
寄書
よせがき
たけうちせいほう、がんじろう、なかむらふくすけ、なかむらかいしゃ、あらしきちさぶろう
日本
大正15年頃/1926
紙本着色
38.7×46.9cm
1幅
広島県廿日市市大野亀ヶ岡701
海の見える杜美術館
大正中期に描かれた、栖鳳と初代中村鴈治郎(がんじろう)(1860―1935)一派の寄せ書きである。藺(いぐさ)は雁治郎、金魚は中村福助、蜻蛉(とんぼ)は中村魁車、浮草は嵐真(六代目嵐吉三郎)、そしてアメンボは栖鳳が、それぞれ筆を執っている。
栖鳳と雁治郎は気のおけない付き合いをしており、たびたび遊芸に興じている。栖鳳が歌舞伎役者に扮したときは、雁治郎一派の全面協力でかつら、衣裳、顔のつくりから演技指導まで行われ、その豪勢な様子が新聞紙上をにぎわすほどであった。また顔見世興行のたびにおこなわれた栖鳳・鴈治郎両派の合同大宴会では、栖鳳の画室でそれぞれの出し物の余興をおこない、それらが終わると、投扇興や、風船をうちわであおいで鳥居をくぐらせるなど、いろいろな遊びをしたという。この集まりは年々賑わいを増し、やがて窓から外へ桟敷まで作っても入りきれないほどの人出となったため、やむなくやめてしまった。
1903年(明治36)に催された宴席を撮影した写真には、栖軍と雁軍にわかれた両者が宴会遊びに興じる姿が見られる。場内には「競技中は座席を立去るべからず」「栖軍競技に優勝し商品受領の場合、若(も)し雁軍の代表者謝罪的余興演上の上ならば、再び競技賞品を戻す事を得」といった規則が貼り出され、余興といえども真剣に打ち込むふたりの姿がかいま見られておもしろい。
こうした宴の後には、しばしば絵の合作もなされたという。おそらく本作も、共に過ごしたひと時の余韻の中で描かれたのではなかろうか。