モルチール砲(臼砲)
もるちーるほう(きゅうほう)
概要
武雄における大砲の歴史は、天保3年(1832)武雄領主鍋島茂義が家臣平山醇左衛門を長崎の西洋砲術家高島秋帆に入門させたことに始まる。2年後には茂義自身も入門し、武雄領では全国に先駆けて大砲製造に努力し、試射を行った。
この成果は、茂義の実弟で佐賀藩士坂部三十郎によって佐賀本藩に伝えられ、天保11年(1840)に神埼の岩田で大砲の試射に成功した。以来、西洋砲術は「佐賀藩の大砲」として全国に知られるようになった。
このモルチール砲は、通称20ドイムモルチールと呼ばれるもので、把っ手のある上面には銀製の武雄鍋島家の家紋がはめ込まれ、蘭文の銘がある。下面には漢文の銘があり、高島秋帆が天保6年(1835)に日本で最初に製造した洋式大砲であることがわかる。
この砲が武雄にあることの意義は大変大きく、当時の人々の近代科学への進取の姿勢が読み取れる。
上面の銘:「IN HET JAAR 1835 / (HOLLANDSCH) / EERST GEGOTEN TE JAPAN」
下面の銘:「皇国莫兒氏兒開基 / 高島四郎兵衛源茂紀 / 高島四郎太夫源茂敦 / 日本砲術家従来未知放之 / 造之 天保六年乙未 / 七月令鋳法門人嶋安宗八 / 鋳之」