阿波手漉き和紙製造の技法
あわてすきわしせいぞうのぎほう
概要
徳島県において古代以来,和紙製造が行われてきたことは,『延喜式』巻二十四「主計上」に,紙を貢納する国として「阿波国」と記載されていることからも確認できる。近世には,清らかな水と原料植物に恵まれた地域を中心に,和紙製造が盛んに行われ,徳島藩では専売制を取り,原料の移出も制限するなど,領内の和紙製造を管理・保護した。
和紙製造は,明治末から大正期に最盛期を迎え,吉野川市山川町域では220軒を超える家が和紙製造を営んだ。しかし,洋紙の普及や生活様式の変化等により需要が激減し,昭和43(1968)年には,藤森家のみが和紙製造を営む状態となった。
和紙製造は大きく,①コウゾ等の原木を蒸して黒皮を収穫する ②水に漬けた後に足で踏み黒皮を取る ③青皮を剥ぎ白皮にした後に乾燥させる ④流水で黒皮やゴミを洗い流した後に釜で煮熟する(その際,ソーダ灰を混ぜることで繊維を分離させる) ⑤手作業で塵を取る ⑥叩解し繊維を分離する ⑦漉く(掛け流し,調子,捨て水) ⑧脱水する ⑨乾燥させる の工程に分かれる。和紙は乾燥後の重さによって紙の厚さが示される。漉く際に乾燥後の重さを感じ取り,漉きあげる技術の高さに和紙職人の技術の熟練度が示される。
藤森家では,叩解に機械を導入する以外,伝統的な工程を守っており,特に重要な紙漉きについて高度な技術を保持していることが評価され,昭和45(1970)年,藤森実を保持者として「手漉き和紙製造の技法」が県指定無形文化財(工芸技術)に指定された。平成27(2015)年5月,唯一の保持者であった藤森実の死去により,「手漉き和紙製造の技法」は指定解除されたが,故実に師事した藤森洋一は伝統的な紙漉技法を伝承し,その技術の習熟度も高い。また,阿波和紙伝統産業会館を拠点として活動し,後継者を養成するとともに,阿波和紙の普及に努めていることも貴重である。