大鹿村の中央構造線(北川露頭・安康露頭)
おおしかむらのちゅうおうこうぞうせん(きたがわろとう・あんこうろとう)
概要
中央構造線は、関東から九州までを貫く我が国最大の大断層である。日本各地を調査したドイツ人地質学者ナウマンは、1886年に出版された「日本の地形・地質に関する、わが国土調査について」と題する総論の中で、中央構造線を識別するとともに、中央構造線が西南日本の地質を二分する(太平洋側を外帯、日本海側を内帯)重要な地質境界としている。長野県大鹿村の二地点、北川露頭、安康露頭では、この地質境界としての中央構造線が良好に露出する。
中央構造線の活動は、日本列島がまだアジア大陸の縁辺部であった1億年近く前の白亜紀後期に遡る。その証拠は、白亜紀後期に貫入した花崗岩や片麻岩類が、地下深部にあった時に延ばされるように変形したマイロナイトという断層岩に残されている。マイロナイトは長野県地域でよく見られ大鹿村の字名から鹿塩マイロナイトと呼ばれ、この中央構造線の最初期の活動は鹿塩時階と呼ばれている。このマイロナイトは、白亜紀末以降に地下浅部へ上昇し、そこで再び断層運動で破砕されカタクレーサイトというもう一つの断層岩になる。一般に現在の中央構造線の内帯側(領家変成帯)は、白亜紀後期の高温低圧型変成岩である片麻岩類と領家花崗岩類からなる。一方、中央構造線の外帯側(三波川変成帯)は、白亜紀後期の低温高圧型の三波川変成帯の岩石が分布する。高温低圧型の領家変成帯と低温高圧型の三波川変成帯は、もともと異なる場で形成されたものが、中央構造線の断層運動により接したものであり、関東から九州にいたる1000キロメートル以上にわたって連続し、明瞭な地質境界を成すとともに、紀の川、吉野川などの直線的な谷地形を示す。
一方、新第三紀(1500万年前位)には日本海の拡大にともなって大陸の縁にあった現在の日本列島になる部分は太平洋側へ移動するとともに、フィリピン海プレートが北上し、伊豆‐小笠原孤が日本列島に衝突し、中部から関東にかけて中央構造線を含む地質構造が「ハ」の字型に大きく屈曲する。
第四紀から現在までの中央構造線の断層としての動きや活動度は、地域により異なるが、大鹿村地域では中央構造線の向きはほぼ南北で、右横ずれの動きを示す。ただしこの地域の活断層としての中央構造線の活動度は紀伊半島西部から四国ほど高くはない。
活断層であるかどうか、あるいは活動度に関わらず、中央構造線沿いでは岩石が破砕され谷地形となっている場合が多く、この地域では古来塩の道として利用されてきた。
北川露頭及び安康露頭では、地質境界としての中央構造線を示す領家帯と三波川帯の岩石が明瞭に接するとともに、白亜紀に遡る中央構造線の複数の活動履歴をとどめた、マイロナイト、カタクレーサイトなどの断層岩が良好に保存されている。
地殻変動の激しい我が国における最大の断層である中央構造線の好露頭としてきわめて重要であり、天然記念物に指定して保護を図ろうとするものである。