田縣神社豊年祭の御輿行列(お練り)
たがたじんじゃほうねんまつりのみこしぎょうれつ(おねり)
概要
田縣神社は、小牧市北部、久保山西麓の俗称「縣の森」に鎮座する。
創建年代は不明であるが、延長5年(927)に編纂された『延喜式』に「尾張国 丹羽郡 田縣神社」の記述がみられる。祭神は五穀豊穣の神である「御歳神(ミトシノカミ)」と子孫繁栄の神である「玉姫命(タマ
ヒメノミコト)」の二柱である。
豊年祭は、津田正生が著した『尾張国地名考』(文化13(1816)年成立)に江戸時代の様子が記録されている。それによると、祭は正月15日に行われ、前日には神宮寺である久保寺で祈念穀の札をまとめて村中に配り、田毎に水口を祭る。また、男茎形を作る。祭当日は久保寺で富くじがあり、久保寺から、榊、神酒神供、本地仏(将軍地蔵)、藁人形(裃、太刀を帯び、一尺八寸ほどの木製で朱色の大男根が付き、若者2、3人で担ぎ上げる)の順に持ち出され、田方の森(田縣神社)まで「於保辮能固(おおへのこ)、縣の森の於保辮能固」と換叫しながら練り歩く。神社に到着後、社内に本地仏、藁人形を入れ、神酒神供を供えて神拝する、とある。現在は『尾張国地名考』に記録された当時とは執り行われる日や有り様が若干変化している。
また、明治維新以降は神仏分離により、行列の出発地(御旅所)が久保寺に代わり、一年交代で久保一色の氏神である神明社と熊野社となっている。しかし、田縣神社まで男茎形を担いで練り歩き、神社に供えるという形態を伝える祭として貴重である。
種もみを仏寺から神社へ地域を練り歩いて手渡すという古い神事の形態を伝えるこの祭は、文化財として意味のあるものと考えられる。
以上の理由により、御旅所を出発して男茎形(現在は大男茎形)が田縣神社に奉納されるまでの御輿行列、その出発前に行われる御前祭を無形民俗文化財として指定する。