飯田城桜丸のイスノキ
いいだじょうさくらのまるのいすのき
概要
飯田城桜丸のイスノキ
いいだじょうさくらのまるのいすのき
長野県
候補物件は、飯田城跡の一角「桜丸」にある。ここは、脇坂氏時代に初代安元が2代安政を養子に迎えるために御殿を建てた曲輪で、安元が多くの桜を植えたことから「桜丸」と名付けられたと言われている。続く堀氏の治世下では若殿や隠居の御殿として使われ、1855年(安政2)の大地震で本丸御殿が大破した後は藩主が政務を執った。残されている城絵図や指図などから「桜丸」の性格を検討すると、指図の一点(明治元~4年頃成立)に、イスノキのある空間(庭園と推定される)に面して縁を巡らせた「御座之間」があるばかりでなく、この空間に台形平面の「御茶屋」や「青霞楼」と呼ばれる独立建物が描かれている。他にも桜丸内に寄棟造り二層の楼閣状の建物を描いている絵図があることや、「桜丸」の南東側の堀が「御亭堀」と呼ばれていることから、「桜丸」が藩主や一門の個人的で非公式な生活の場としても利用された側面があることがうかがえる。「青霞楼」から「御茶屋」にかけてのスペースは、そのような場の庭園であったと推定される。現存する「堀家蔵書」(飯田市立図書館蔵)に残る典籍から、茶道や茶道具、さらには造園に対する関心の深さが浮かび上がる。(2)生育状態当該樹は、すっきり伸びた単幹の樹姿で、見た目ではそれほど太さを感じさせないが、目通り周は約2.3mに及ぶ。樹高は約12mで樹冠もよく繁り、樹勢の良い堂々とした木である。自生の北限を越えた高冷地の長野県において、このような巨木が今日まで伝えられてきたのは、飯田城内において大切にされたばかりでなく、近代以降も地域の人々によって大切に守られてきたことを示しており、当該樹は城下町飯田の歴史と文化を象徴する樹木の一つと言える。
飯田市追手町2丁目678
長野県指定
指定年月日:20140925
長野県
記念物