石造宝篋印塔
せきぞうほうきょういんとう
概要
石造宝篋印塔
せきぞうほうきょういんとう
南北朝時代
石造宝篋印塔、凝灰岩製
盛土の上に延石を並べ台石とし、その上に板石基壇を置き、さらにその上に置いた上部反花式基壇の上に建つ。基礎は、上端が二段で、側面は四面とも輪郭を巻き格狭間が彫られている。格狭間の中の装飾は確認できない。塔身の四方には、月輪中に金剛界四仏の種子が彫られている。笠は、下二段上六段の定型式で、隅飾りはわずかに外傾している。隅飾り中の装飾は確認できない。相輪部は、二箇所で折れているが、継ぎ直して完備している。
高225.3cm(基礎-相輪)、総高273.9cm(台石-相輪)
1基
加古川市指定
指定年月日:20120228
有形文化財(建造物)
見土呂集落の西に広がる田圃の中の盛土の上に立つ凝灰岩製の宝篋印塔である。地元では法憲塔と呼ばれている。作者は不詳である。材質が柔らかいため表面が摩滅した部分があるが、全体に南北朝時代の宝篋印塔の特徴をよく示している。
また、この塔に関する伝説として、戦国時代に城山から落ち延びてきた武者がこの場所で切腹したというものがある。