赤坂庭園五十八勝図
あかさかていえんごじゅうはっしょうず
概要
紀伊徳川家中屋敷赤坂邸には、台地と谷を利用して作られた広大な赤坂庭園があった。庭内は外苑と内苑とから成り、50数か所の名所があったという。本品は、寛政9年(1797)、紀伊藩主徳川治宝の命を受けた文人画家・谷文晁(1763~1840)が、その景観を描いた作品の下絵である。8つの図を描いて1巻に仕立てたもので、起伏に富む回遊式庭園の様子を写し取っている。
あかさかていえんごじゅうはっしょうず
紀伊徳川家中屋敷赤坂邸には、台地と谷を利用して作られた広大な赤坂庭園があった。庭内は外苑と内苑とから成り、50数か所の名所があったという。本品は、寛政9年(1797)、紀伊藩主徳川治宝の命を受けた文人画家・谷文晁(1763~1840)が、その景観を描いた作品の下絵である。8つの図を描いて1巻に仕立てたもので、起伏に富む回遊式庭園の様子を写し取っている。
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